喫話処

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【ラスト・ベガス】とかいう人生の目標

こんにちは、ポーカーよりブラックジャック派のリンです。


今回はいきなり映画【ラスト・ベガス】の話。なんといってもこの映画、全シーンの豪華さがすごい。

ロバート・デ・ニーロマイケル・ダグラスモーガン・フリーマンケヴィン・クライン。映画好きならこのキャスティングだけで飛びつく顔ぶれだと思う。

そんな4人のおじいちゃん(失礼)たちが、ラスベガスでただただ童心に返ってはっちゃける映画。


序盤からいたるところに入る年寄りネタや一言一言は笑えるし、それぞれのテンポが良くて内容とは裏腹に会話は若い。

カジノで10万ドルを当てた彼らのやることなすこと全てを見て楽しむ映画だろう。


そう、見て楽しむ映画だ。

特に映画ファンの人たちには、ストーリーにはそんなに期待せずただ見て欲しい。


正直に言って話の内容は普通だし、この4人を起用して組ませるには少し物足りなさもある。いや、逆に言えば、このストーリーであってもこの4人だから楽しめたというのが正解だろう。

豪華な顔ぶれにストーリーや演技にも納得したければ、【アンタッチャブル】の方を見て欲しい。


しかし、だからといって何もつまらないわけではない。

さすがにこのキャスティングと内容からしてテーマを友情に絞って見てしまいがちだが、個人的にこの映画は〈愛〉の映画だと思う。



ザックリと説明しよう。

子供の頃から仲のよかった4人組だが、ビリーとパディの間には溝がある。理由は、パディの妻ソフィの葬式にビリーが参列しなかったから。ソフィも弔辞はビリーにお願いしたがっていたにも関わらず。

理由は過去にある。実はビリーもソフィのことが好きだった。そして二人のうちどっちを選ぶのか迫った日の夜、ソフィはビリーを選んでいた。しかしビリーはソフィに、「パディと一緒になれ」と言って譲っていたのだ。

物語の終盤、その事実をパディが知る。



今回4人が集まった理由は、ビリーが若い女の子と結婚するためだ。

そしてベガスで出会った女性に、またパディとビリーが同時に惹かれ、ビリーは昔と同じようにパディに譲ろうとする。

パディの方は、ビリーが本当に結婚相手のことを愛しているか確認する。


こんなお話。



この世の中に存在する恒久的な謎の一つに、「男女間の友情は成立するか」というものがある。この問題について考えるとき一番の問題になるのが、友情と恋愛感情の違いだろう。

私は、それら二つとも〈愛〉という枠に入る別の形だと思ってる。


この映画を見ると「自分を選んだ女性を友人の元に行かせることが友情なのか」という意見も出ると思うけど、それはもう友情の枠を超えた、愛と呼べる感情だったんじゃないだろうか。

一緒に騒げるとか、許す許さないとか、そんな目に見える事実とは別に、ビリーは本気でパディのことを考えていた。

ほかの3人が子供や妻に感じているような愛を、この4人はお互いにそれぞれ持っていたんだと思う。


しかし歳をとり死を意識するようになって、ハッキリとわかる女性に対する愛というものを求めたビリーは、本当に愛してるかどうかもわからない女性との結婚を決める。


その感情を指摘したパディの行為も、ビリーに対する愛だろう。


自分よりも大切な人がいる。

それが同性だろうと異性だろうと、その尊さは変わらないと思う。



妻にベガス滞在中の浮気を許されたサムが若い女の子とベッドインする際に言った台詞は美しい。

「君と寝られることは最高だけど、40年間、良かったことは全て妻に話してきた。だから、それを妻に話せなければ、それは最高なことじゃなくなるんだ。」


こんなことを思える人と結婚し、あんな馬鹿騒ぎができる友人をもつ。なんと素晴らしい人生だろう。


ビリーとパディのわだかまりも、真実を話せなかったことによるものだ。

ビリーの発した「若かったんだ」という台詞は、女性を譲る行為そのものだけに対する台詞じゃないだろう。



さて、途中で私のしょうもない恋愛談を混じえようかと思っていたのに忘れてしまった。


いくつかの記事を書いたけど、まだ書き方や内容に統一性がない気がする。

そろそろ方向性を固めてもう少し面白い記事にしていくので、これからもよろしくお願いします。




まとめ

・自分より大切な人がいることは美しい

ロバート・デ・ニーロ最高